きしのし

おっさんの日記です。旅行、鉄道、ポタ、メシ多めです。

ぼっち金沢八景

ふと思い立って天気の良い午後に金沢八景まで行ってきました。「ぼっち・ざ・ろっく!」の聖地巡礼です。このあたりは自転車でよく行くので馴染みがあるのですが、今回は自転車ではなく電車で訪問です。

まず、きくり姉さんとの路上ライブの場所です。アニメを初めて観たときに「あそこだ!」とわかった場所です。今まで自転車で通ったことはありますが徒歩では初めてです。頭上がシーサイドラインの高架になっているのが特徴的で遊歩道の一部がステージのような形になっています。


↓ 同じ場所を正面から。

↓ ステージ(?)から見た構図です。ファン1号/2号を筆頭に観客を見おろす構図になります。

↓ 夏休みに虹花と郁代がぼっちの家に遊びにいくときに休憩した場所です。奥にある旅館と手前の自販機がポイントです。

↑ この橋(八景橋)も作中に出てくるのですがシーンの説明がちょっとむずかしいですね。

↓ ぼっちがきくり姉さんと出会う場所。弁天像があります。

弁天像はこの神社の鳥居をくぐってすぐの場所にあります。

↓ 神社の祠です。ここは出島というか陸繋島のような場所の先端になります。

金沢八景まで電車で行くのは久々です。IDOLY PRIDEもこのあたりが聖地ですが駅からは少し離れた場所になります。日曜の夕方ということもあり、ぼっち巡礼している人が何人かいました。

風光明媚な場所なのでもう少し暖かくなったら八景島海の公園とかでのんびりしても良いと思います。

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義母転居

義母が入居している施設から「今後のことを相談したい」と連絡が来たので、施設の人と主治医と私たちで面談してきました。端的に言うと「そろそろ終末期になったから準備してね」ということです。本人の健康状態は心不全とか誤嚥性肺炎とかありますが極端に悪いところはありません。でも、全体的に衰弱してきています。

現在入所している施設では医療的処置はできないですし看取りにも対応していません。どこか悪い部分があって治療が必要というわけではないので入院させるというわけにもいきません。そんなわけで、今の施設では今後は対応できなくなってしまうので別な施設に転居する必要が出てきました。

医療的なケアが可能で看取りも対応していただける施設となると数は限られるのですが、現在の施設のスタッフにも手伝っていただきながら次を探すことになりました(現時点で二箇所の施設とコンタクトしています)。

というわけで、当面は施設を探すことになります。

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四川一貫

前世紀から付き合いのある友人たちと年始恒例行事として神田の四川一貫でお食事してきました。

この店には割りと頻繁に行くのですが、年始は銀絲巻(=揚げパン)をいただくことができます(台湾から直輸入で年始以外では食べることができません)。銀絲巻は他の店でも食べることができますが、他の店とはだいぶ異なっていて「ふんわり」感がピカイチです。

↓ 噂の銀絲巻です。普段はエビチリのソースをつけたりするのですが、今回は基本に戻って練乳でいただきました。

こちらは麻婆豆腐。これもウマウマ。

この時期は牡蠣の宮保です。今回はとても辛くて店中のひとが噎せるほど唐辛子が効いていました。でも、うま~

他にもたくさん食べたのですが食べるのに忙しくて写真はあまり撮っていませんでした。

また、近日中に食べに行きたいと思っています

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惜別651系

あまり話題になっていないのですが、3月のダイヤ改正651系の定期運用が無くなります。その昔昭和の末期に常磐線向けの特急としてデビューしてからもう30年以上経ちます。直流区間ならリニューアルしたE257系もありますし交直両用ならe653系が余っていそうなので651系はこのまま全廃になると思っています。

というわけで、651系に乗ってきました。

週末は混雑するかもしれないので金曜の午後に吾妻線の長野草津口から上野まで乗車してきました。平日夕方の上り列車だと思いますが、車内はのんびりしていました。

それにしても、正直言って「ボロい」ですね。外装も内装も手入れ不足で、あちこち草臥れています。「引退も仕方ない」感がプンプンしています。

バカでかいLEDのヘッドマークともお別れです。

長野原草津口駅で先頭車側です。思ったよりは雪はありませんでした。

LEDや電光掲示ではなく「幕」です。

 

車内はこんな感じ。少し厚めのシートに時代を感じます。

 

上野到着後の折り返しはスワローの本庄行きになりました。幕回しもちゃんと見学しましたよ。

それにしても高崎線区間はもっと速度を出すと思っていたのですが、なんかゆっくり走っていました。唸るモーター音を聞きたかったのですが・・・

往路は高崎から各駅停車に乗りました。211系も数が減っちゃいましたね。


長野原草津口駅です。あまり人がいないですし売店もありません・・・ちょっと(かなり)寂しい感じでした

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登記情報を取得しよう!

義父の不動産(=奥さんの実家)を奥さんが相続したのですが登記変更は司法書士さんに任せてました。でも登記簿の控えを貰ったわけではなかったので登記情報を取得してみました。

登記情報は法務省が運営している「登記情報提供サービス」というサイトで取得できます。使い方はカンタンです。通常は月会費あるいは年会費が必要なようで業者向けな感じもしますが、個人で会費不要で利用できます。個人での一時利用はテンポラリIDが発行されカード払いになります。

利用は簡単ですけどサイトの設計は古めのようで使いかたに少し癖があり「役所のサイトあるある」な感じで、画面設計が20年前な感じです。

さて・・・登記情報取得のポイントは指定するのは住所ではなく地番だということです。なので自宅の住所をセットしても「そんなものは知らん」となる可能性があります(住所と地番が同じなら問題ありません)。住所から地番も検索できるサービスも提供しているので地番が不明なら住所から逆引きができます。

さて・・・検索したら以下のような情報が取得できました(名前や住所は消し込みしています)。これを見ると「いつ」「誰から誰へ」と理由が記載されていますね。我が家の場合は、「義父が亡くなった日」に「義父から奥さんへ」「相続」で登記変更された、ということがわかりました。

だからどうということはないのでしが不動産が奥さん名義であることが確認できました。

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相続手続きの終わりが見えてきた

義父の相続手続きに終わりが見えてきました。

通帳がいくつも出土したので自力で相続手続きをするのを諦め司法書士さんに丸投げしていたのですが、11月に義父所有のマンション(=奥さんの実家)の登記が変更され実家は奥さん名義になりました。なので、実家というよりは我が家の別宅になりました。

で、名義が変わったら我が家に「売りませんか?」というDMがわんさか届くようになりました。「catch(登記変更) {send DM to owner}」とプログラムのような振る舞いで、登記簿の変更情報のクローラーあるいはイベントハンドラーがあるのでは?と思われるような感じです。

次いで先月末に相続人である奥さんと義母の口座に振り込みがあり遺産の分割(分配)処理が終了し、全ての遺産処理は完了しました。残っているのは税理士さんへの報酬と税金の仕払いだけです。

いろいろありましたが、ひとまず一段落したことになります。でも、義母の状態があまり良くなくて、医者からは「準備しておくように」と言われている状況で、近々に次があるかもしれません・・・

奥さんは一人っ子で義父の資産は負債が無く、不動産も自宅だけで有価証券とかもなかったので簡単でしたが自分の親のことを考えると頭がいたくなってきますね(自分には弟が一人、生母は鬼籍に入っていますが父親は再婚していて面倒くさそうです)。

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北部九州乗り鉄 (その4)と筑豊街歩き

北部九州乗り鉄最終日(月曜)です。フリーパスは使えないので宿のある小倉から近いところを乗ってみました。

まずは日田彦山線田川後藤寺までです。この区間はキハ40系列が現役です。田川後藤寺駅は駅の通路が渋くてステキです。

さらに後藤寺線新飯塚駅までキハ40です。こちらはキハ40の単行です。

新飯塚から筑豊本線に乗り換え直方へ。直方の駅は新しくて立派で駅前に力士の銅像がありました。

さて、直方駅から筑豊電気鉄道筑豊直方駅まではけっこう距離があります。途中には立派なアーケードがあります。アーケードは大きく二系統あり、ふるまち通りのほうは比較的生きている店がたくさんありますし、明るい雰囲気があります。もっとも月曜の午前中なので人は少なかったのですが・・・

もうひとつの 須崎どおりのほうは完全にシャッター通りです。↓の写真のような状況です。数年前に訪問したときには味のあるほぼ廃虚のパチンコ屋があったのですが、取り壊されてしまったようです・・・・残念。

さて、ふるまち通りには謎の駐車場とかもあります。絵と写真が謎です。

こちらは旧福岡銀行だそうで、炭鉱町として栄えていた当時が偲ばれます。

 

筑豊直方駅はJRの駅から徒歩15分程度離れています。路面電車規格なんですが道路と共用する部分はありません。

終点は黒崎駅前のビルの1階です。

 

このあと小倉に戻り北九州空港から羽田まで飛んで帰宅しました。

空港にはメーテルがいました。